Monday, May 14, 2012

Overthinking #1


このblogを初めて殆ど3カ月くらいになるけれど、書く事柄は当たり障りのないものばかり。
楽しいことだとか面白可笑しいことだとか、あんまり私の中身が見える話はしないよねー。
でも、マイナスなことやプラスなことはtwitterにはじゃんじゃん書いてる。笑
殆どその日その時間、その場で感じたことだから、メンタル面丸出しだったりで後から読み返すとアチャー;ってなったりもする。笑

それでもなるべく誰かを直接傷付けるような言葉は言わないようにはしているつもり。
(その人が私のtwitterを見ていないとしても、または他人だとしても)

特に成人してから言葉にはとっても気をつけるようにしてる。
学生のとき、なんであんなこと言っちゃったんだろう、とか、先生に対する言葉遣いとか。笑
どちらかと言うと素直であけっぴろげ過ぎるところがあったので、「外面だけ良い」みたいなそういうのは出来なかった。
特に陰口を言うこともなく本人に直接言ったりとかしていたし、「これは私の考えなんだけど」と、思っていることを纏めて勝手にすっきりしたりしてた。
誰かを嫌いになる時は一人で嫌いになればいいし、あいつが嫌いこいつが嫌いみたいなこともなかったように思う。
(好きの反対は"無関心"とはよく言ったもので、案の定私には嫌いな人はいなかった)
(私のことが嫌いな人はいたようだけれど)
不器用じゃなくてただ良い意味でも悪い意味でも無邪気で、救いようのない無知だっただけ。恥ずかしい。


でもそうやって自分で規制を増やすことによって生き辛くなっていくってことにはとっくに気付いてるんだけどね。
これもtwitterで先日呟いたんだけど、自己犠牲によるある種の悟りみたいなものなのかなと思ってる。
誰かを傷付けることによって自分を守っている場合もあるんだろうけれど、生憎私はそうすることによって罪悪感で自分が傷付くから快感も平穏も感じられないし、そこまでして得る一瞬の幸せって一体何なんだろうとさえ思う。
それだったら誰かに守られる方がずっといい。
だから私は(いつか自分と関わるかもしれない)他人を出来るだけ傷付けたくないし、あわよくば私を好いて、更に守って欲しい、私の繭になって欲しいと思う。


皆が他人を思いやれば争いごとも減るだろうにね。
寿命も減りそうだけどね。
それでもいいかもしれない。